無題-2

人が怖くなる瞬間というものは、自分にはないものを相手に見出したときだと思う。


自分にはない技術、自分にはない容姿、自分には感情。


それが自分に向くことも当然あると思う。


渋谷のSTARBUCKSからスクランブル交差点を見下ろしているとふと、


「こいつら全員ぶち殺してやりたい」


という衝動に駆られることがある。


自分でも意味が分からない。


あの人たちは普通に渋谷に遊びに来ているだけなのに、私に危害を加えたわけじゃないのに、何故こんな感情が湧くのか。




私は人に怒らない方だと思う。


人に怒ってしまう自分が嫌いなのだ。


人の言動ひとつで無駄なエネルギーを使うことが嫌でならない。


だから色恋なんてもってのほかで、友達が


「彼のなんてことない仕草で胸がときめく」


とよくある惚気話を話していても、理解が出来ないのだ。


その友達は俗に言う恋愛体質で、好きな人が出来ては付き合って、飽きて別れてまた繰り返しをしている。


だが、その好きという感情に嘘偽りはない。


彼女はいつだって人に恋をしている。


また彼女は


LINEあんま返ってこなくて〜...


とよく愚痴る。


私もLINEの返信は遅い方で、なんてことない案件なら平気で一週間くらい返さない。


それでよく怒られる。


でも私には何一つ理解出来ないから治そうと思えない。


人からLINEが返ってこないだけでなんで感情が動くのか。


「〇日遊びに行こうよ!」


なら早めに返すが、


「この前行ったランチが美味しかったんだよね〜!」


なんて正直私にとってはどうでもいいことなのだ。


会話は、私にとって途方もないエネルギーを消費する行為だ。


だから「他愛もない会話」というものが苦手で仕方ない。


人は、苦手なことは意識していなくても避けてしまう。


避けてしまうはずなのに、私は見知らぬ人に殺意を抱く。


隣の人のボールペンを奪って目に突き立てやりたい。


顔を踏み荒らしてぐちゃぐちゃにしてやりたい。


それを実行する私を意図も容易く想像出来てしまう。


予定をドタキャンされても、


服にジュースをかけられても、


生理だから、と言っても いいからの一言で一蹴され犯されたときでも、


私は怒らないのに。


怒ることに脳のリソースを割きたくない。


なのに私は今隣で幸せそうに話すカップルをどろどろにしてやることで頭がいっぱいだ。


自分にはない、他人を思いやる、という行為が出来る人種がとても恐ろしく、見ていられなくなってしまって、殺したくなる。


あまり感情が波立たない私が、恐怖というものを前にして殺意、あるいは破壊衝動に狂わされそうになり、それにもまた怖くなった。




カップと同程度まで積み上げたコーヒーフレッシュの空き容器をゴミ箱に乱雑に突っ込み、


スプラッター映画も真っ青の脳内に嫌気を感じながら店を出た。